2つの塊の融合?


Spiderを横から見ると斜め入ったラインがあります。

これを見たとき「Alfa Romeo Spider」は2つの塊が融合している、という表現を自動車雑誌で見かけましたが本当にそうでしょうか?

Alfa Romeo Spiderがデビューしたは1995年、その6年前に東京モーターショーで1台の魅力的なバルケッタが出展されました。ミトス(Mythos)という名のそのプロトタイプはピニンファリーナ(Pininfarina)のブースで一際目を引いていました。その車の美点は車体前部と後部、2つの塊が優雅に融合している点でした。Spiderが斜めに車体を分断するキャラクターラインを持ち、かつ同じピニンファリーナのバッヂを持っていればミトスと同じテーマでデザインされたと考えられてもおかしくはないでしょう。

Alfa Romeo Spider(とGTV)のスタイリストで、当時ピニンファリーナのチーフだったエンリコ・フミアがキースケッチを描いたのはデビューより遡ること8年前の1987年。実際にデビューした車はほぼそのイメージ通りで、キャラクターラインはすでにできあがっていました。その後、88年にはフルスケールモデルがほぼキースケッチのままアルファロメオにより承認されています。
 一方、ミトス・プロトタイプはおそらく1988年頃からスケッチが描かれています。加えて、フミアはこのときミトスの対抗案を提案していることから、Spiderはミトスと同様な「2つの塊の融合」というスタイルテーマではないと言えます。むしろSpiderを見たミトスのスタイリストがSpiderのスタイルテーマを昇華させたと言えるのかもしれません。デザイン的に見ても斜めにカットされた前の塊は後ろの塊を抑えるには力不足といえるでしょう。実車には後部バンパーのパーティングラインとつながるもう1本のプレスラインが走っており、このラインの上だけなら、「2つの塊の融合」と言えなくもない、と敢えて言うならその程度でしょう。
 フミアはピニンファリーナ時代、有名なところではAlfa Romeo 164のデザインを手がけています。この車のスタイルテーマは比較的高い位置にある水平なラインであり、フミアはこの時代、車体を分断するキャラクターラインに凝っていたようです。ですので、スパイダーの斜めのラインはただ単に前進をイメージさせるクラウチングスタイルを車に与えるためのものだったのではないでしょうか?

ところで、スパイダーは何故デビューまで非常に時間がかかったのでしょうか?

これはどうやら、アルファロメオのお家事情がそうさせたようです。
 スパイダーのフルスケールモデルが承認されたのと前後してアルファロメオの親会社であるフィアットの社長が退陣して、開発は2年間の空白期間を余儀なくされます。その後、クライスラーとの合弁でアメリカで売ることが決まり、派手な内装にリデザインされます。また、より大きなV6エンジンを積載するためシャシーにまで手が加わります。結局、アメリカでの販売はキャンセルされましたが、開発期間は延長され、最終的に8年の期間を要してしまったと言う訳です。
 今回紹介するアルファロメオ・スパイダーは基本的には、これ以前に20年近く売られていた先代のモデルチェンジ版であり、開発当初は1.6〜2.0Lの4気筒エンジンを積載する小型スポーツカーであり、内装は外装色を使ったシンプルなものになる予定でした。
 この構成は正しくフィアット・バルケッタと同じで、同時期に登場することになってしまったこれら2つの車を完全に仕分けするため、スパーダーが高級かつ大型化されたとも考えられます。ただ、バルケッタの元オーナーとしては、そんなオリジナルのスパーダーも見たかった気がします。


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